不要回頭、一直向前

趣味や旅の記録など

タイランド 30年前の旅の思い出を辿る - 2-

 2国目 バンコク

 バンコクに着いた。空港はドンムアンだったはずだ。当時は空港の位置関係も全く把握しておらず、何番のバスに乗って、ぐらいしか知識がなかった。『地球の歩き方』を頼りにカオサンロードに向かう。

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地球の歩き方』当時のまま

 クラスメートの晃宏は一足先にバンコクに到着していて、定宿の“Royal Guest House”にいることになっている。空港からバスに乗り、何かのモニュメントを過ぎた辺りで下車して少し歩く必要があったと思う。カオサンロードに着いてからは、通りから少し細い路地を入っていくが、白い壁の小奇麗なゲストハウスだ。高木君とドミトリーを取った。エアコンはなく、ファンだけだが、あの頃はそれが普通だったから、全く苦にもならなかった。受付には“ピーコ”と呼ばれているニューハーフがいて、あれこれ世話を焼いてくれる。すぐに晃宏にも会えた。しかし、予想以上に暑い。ソウルでいただいた饅頭は一つ二つ食べたが、暑さのため食が進まず、ピーコ達にもお裾分けした。ピーコはいつも日本語の勉強に勤しんでいて、日本人旅行者にも人気があった。

 カオサンロードは勿論外国人だらけの無法地帯っぽい雰囲気を醸し出している旅行者のための通りだが、今と比べればもっと穏やかというか、素朴さが残っているというか、庶民っぽさがあるというか、親しみやすさのような感じがあった。ゲストハウスも一泊数百円だったし、食事も安い。この通りの中だけで、ボケーっと何日も過ごしてしまう旅人もいた。この通りには、ここに住み着いたタカさんという日本人がいて、チャオプラヤー川の詐欺に関する注意書きをあちこちに貼ってくれていた(この詐欺のことは知ってはいたがが、実は自分もやられたことがある)。また、このゲストハウスに出入りしているカンチャナと呼ばれている在日韓国人の女の子もいた。彼女はカオサンロードに来て久しく、日々、タイ語の独学に励んでいるそうだ。他にも、20代くらいの日本人女性がいて、一時期、近くの物置で寝泊まりしていたとも言われていた。

 飲み水にはとにかく気を付けるように言われていて、ゲストハウスのフロントにある冷蔵庫のミネラルウォーターを買っていた。今のようなペットボトルのものはなく、1リットルくらいの白いポリエチレンの容器に入っているものだった。タバコはローカルのものは“クロンティップ”という名前だったと思うのだが、普通のとメンソールがあって、メンソールの方は吸い過ぎると精力が弱くなるなんて噂もあった。

 周辺をぶらついたり、ゲストハウスで出会った旅仲間とダベったりしているだけでも時間が過ぎていく。居心地がいいカオサンロードではあったが、次の目的地に向けて出発しなければならない。晃弘に勧められたチェンマイのトレッキングだ。だが、一つ問題があった。日本を発つ前に、トレッキングシューズを新調したのだが、サイズが若干小さかったのだ。そのため、履いていると足指が痛い。已む無く、インナーソールを剥がしてみたが、それでも履き心地が悪い。そこで、カオサンロードの靴店に買い取ってもらうことにした。大した金にはならなかったが、捨てるよりはましだ。そして、記憶は定かではないが、別の靴を買い求めたと思う。

 タカさんのいる店で、チェンマイまでの長距離夜行バスのチケットを購入した。