不要回頭、一直向前

趣味や旅の記録など

タイランド 30年前の旅の思い出を辿る - 7-

 カルカッタ

 エアインディアに搭乗すると、座席の周辺には日本人が数名いた。バンコクからカルカッタへ飛ぶ旅行者は結構いるのだ。

 カルカッタに到着すると、まず空港の両替所に向かう。日本人旅行者の列が出来ていた。両替の後、バス乗り場に向かうと、なぜか一人の日本人男性が出迎えに来ていたようで、皆一斉に彼の教えのもと、バスに乗り込んだ。例外なく、皆の目的地はサダルストリートだ。薄暗いハロゲンランプの街頭の中を走って行く。サダルストリートに到着して、機内で一緒だった数名と一緒に宿を探すが第一候補のパラゴン(Paragon Guest House)は空きがなかった。そこで、別のゲストハウスに変更し、女子学生の田中さん(仮名)、男子学生の山田君(仮名)とトリプルを取った。かなり晩い時間だったと思う。

 今回のインド旅行の目的地はバラナシだ。インド10日間でどこに行くかを検討した結果、カルカッタ、バラナシの二ヵ所に絞ることにした。バラナシと言えばガンジス川沿いの聖地である。バラナシまでは列車で移動となるため、切符の手配をしなければならない。田中さんもバラナシに行くというので、二人で切符を取り、バラナシに向けて出発した。

 

 バラナシ

 列車は三段ベッドの寝台車だ。翌日、もうそろそろ到着してもよい時間になっても、到着する兆しが見られない。車掌にいつ到着するのか尋ねると、何と、途中の線路分岐で操作を誤り、知らずにずっと別の路線を走っていたというのだ。そこで、途中まで引き返して正しい路線に戻さなければならないという。列車が別の方向に向かって走ってしまったという、何ともあり得ないアクシデントのため10時間近く遅れを取ったと思う。バラナシ駅に到着したのは夜で、田中さんと駅近くのゲストハウスのドミトリーに宿を取った。今日の午後にはガンジス川沿いの宿に到着しているはずだったのに、10日間という限られた日数であるがために、非常に腹が立ってしかたがなかった。

 翌朝、オートリクシャーでガンジス川まで行き、宿探しとなった。川沿いを歩いて久美子の家を目指してひたすら歩く。久美子の文字が見えて来たが、そのまま先に進んで、結局、ビシュヌ(Vishnu Rest House)に泊まることになった。ここはゲストハウスなのか何なのか、寝る場所は、なんと屋内ではなく、正方形の建物を取り囲んで、軒下にベッド(それとも縁台?)が置かれているだけなのだ。初めての経験だが、それはそれでいい経験でもあった。久美子の家では、久美子さんが親切にしてくれると評判が良かったが、結局、一度も訪れることがなかった。

 毎日、ガンガー(ガンジス川)沿いを歩き、沐浴をする人々を眺めたり、時には火葬場を遠くから見てみたり、ゆっくりとした時間の流れの中数日間過ごした。バングラッシーという緑色のラッシーも飲んでみた。ミディアムとかストロングとか強さの違いもあったみたいだ。そんなに効果はなかったかも知れない。食事はサモサのカレーかけが美味しかった。チョーク広場から伸びるダールマンディ市場も楽しめた。ここではクルタパジャマを購入。帰国後、このクルタパジャマを着て、大学の卒業式に出席した。

 バラナシを離れる日、どうもお腹を下していた。何も食べられないが、水分補給だけは欠かせないということで、薬局で黄色いポカリスウェットのような栄養ドリンクの素を買い、でかいペットボトルの水に溶かして飲んでいた。カルカッタ行きの列車に乗ってそれを飲んでいると、向いの席の男性から、その割合では濃すぎると指摘されたが、よく分からないので、それでよしとしていた。寝台列車は、最初は皆、一段目に座って過ごす。かなり晩い時間にならないと、上段に上ってくれないのでかなりストレスがたまり、座っている人達に、もう晩いので上段に上って欲しいとお願いしてしまった。列車内で、一つ、特に印象的だったのは、現地女性が抱いていた嬰児へのミルクの飲ませ方だ。哺乳瓶も持っておらず、道具は小さな金属製の皿のようなもの。一辺が飲み口のように細く突き出した形になっていて、そこから嬰児にミルクを注いで飲ませている。これが初めて見たインド式の哺乳瓶であった。

 カルカッタに到着してから、パラゴンにと思ったが、生憎、空きがなく、取り敢えず、近隣の別の宿を選んだ。そこはかなり広い部屋で、ベッドが数十個置かれていたと思う。宿泊客はほぼ日本人だった。大半は学生っぽい感じの旅行者だが、中には、やたらと売春の体験談をしてくるヤツもいたり、人に話してはいけないような地方のお祭りに潜入して来たというヤツもいたり、旅の猛者が集まっていた。