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タイランド 30年前の旅の思い出を辿る - 4-

 チェンマイからチャンラーイへ

 トレッキングの後、何日滞在したかもいない。市場で珍しい果物を買ってみたり、寺院巡りはパスしてぷらぷらしてたと思う。果物は佐藤さんにも分けてあげた。ランブータンマンゴスチン、ラムッとか日本には無いものばかり。ナイトマーケットでは、少数民族の刺繍が施された黒色のジャケットと小銭入れや帽子を買ったと思う。これらは今でも捨てずに保管してある。今回の旅では、最終的にはミャンマーとの国境の町・メーサイまで行こうと考えていて、次の目的地は経由地であるチェンラーイにすることにした。

 佐藤さんとも別れて、バスターミナルからチェンラーイ行きのバンに乗った。数時間で到着したと思う。『歩き方』を参考にして宿を決めた。記憶では広い中庭があって、『歩き方』にも丸が付けてあるから、恐らくCountry Guest Houseだろうか。

 チェンラーイでは特に何をしたか思い出せない。何も見ものがなくて、町歩きした時の風景くらいしか思い出せない。ゲストハウスの部屋の記憶もない。ただ、憶えているのは、中庭で従業員にタイ語の数字の読み方を教えて貰っていたことだけ。

 ここには一泊しただけだと思う。メーサイ行きのバンに乗った。

 

 チェンラーイからメーサイへ

 メーサイに到着。メーサイはミャンマーとの国交の町で、メインストリートのどん詰まりの橋を渡ると向こう側がミャンマー。昔から国境、辺境の町を巡るのが好きで、これまで中国の黒竜江省の黒河、遼寧省の丹東、雲南省の瑞麗、新疆のカシュガル、マレーシアのコタバル、アロースター等々、アジア限定で数多く訪れたことがある。例によって『歩き方』で宿を探す。辿り着いたのはNorthan Guest House。ミャンマーとの国境のサイ川沿いのゲストハウスで、バンガロー形式だ。旅行者は少なそうで、レストランにいた日本人らしき旅行者に声を掛けたら、台湾人だった。

 『歩き方』に、Doi Tungという山の上にあるWat Phra That Doi Tungという寺院が紹介されていたので、翌日、ゲストハウスでバイクを借りて行ってみることにした。借りたのはスーパーカブ。スタッフに行き方を聞いて出発した。途中から両側に広がる水田を眺めながらかなり走ったと思う。寺院に近づいた所で、山道を登らなければならない。舗装もされていない砂地の急な坂を上るため、バイクを押して上ったと思う。頂上の寺院は確かに立派で、黄金色の仏塔があり、しばらく見学をした。そこで、一つ失敗をした。半ズボン姿だったことが祟って、マフラーで足を火傷してしまったのだ。ちょっとした不注意からだった。今でもケロイドとなって痕が残っている。一通り、見学を終えて帰路に着いた。そこで、再びトラブル発生。さっきバイクを押して上って来た砂地の坂道を、今度はブレーキを使いながらゆっくりとバイクを走らせていた。坂が終わるか終わらないかの所で、突然スリップしてしまったのだ。バイクは倒れ、両手両足に酷い怪我をしてしまった。短パンにサンダルという無頓着な装備だったせいで、足の裏の皮がめくれたり、腕の肘が擦り剝けたり、かなりの重症だった。治療をするにも、自力で帰るしか方法はなく、意識も朦朧としたまま、再びバイクに乗り、ゲストハウスに向かった。あの精神状態でよく帰れたと思う。負傷した個所は丁寧に洗浄し、持っていた薬を塗って治療した。そこからはあまり無理な外出は出来ない。メーサイの中心地でぶらぶら過ごすことになる。

 メーサイのメインストリートの先端にある国境検問所を通り、橋を渡るとミャンマー側のタレチクという町に入れる。ビザもないので、国境越えは断念し、橋の途中まで行って向こう岸を眺めたりしてみた。メインストリートにある出店の女の子がなぜか中国語を話す。話を聞いていると、彼女はアカ族だと言う。かつて、中国から移って来たというのだ。近くには中国式寺院もあり、線香を買って参拝をして見せてくれたりもした。

 メーサイでの滞在を終え、バンコクに戻るバスチケットを購入。バスに乗ると、隣にタイ人女性が座った。彼女が食べていたおこわを少し分けてくれたりした。出発を待っている間、彼女がふと、聞き慣れた言葉を発したのだ。中国語である。話を聞いてみると、彼女は台湾にいたことがあるという。タイ人のおかしな訛があって聞き取りにくい部分が多々あったが、コミュニケーションが出来ることは大変助かった。バスではお菓子か何かが配られ、翌日の朝にはバンコクのバスターミナルに到着した。